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【アラベスク】  第17章 来し方の楔



第2節 想われ心 [24]




 弾けたようにユンミが声をあげる。
「カイルよ」
「彼がどうしたんですか?」
「それはこっちのセリフよ」
「こっちのセリフって?」
「だから、あの男は何って聞いてるの?」
「え? 何って」
 会話が成立しない。
「あの、ユンミさん、私、あの、何をどう答えればいいのか」
「だからぁ、カイルよ。あの男がさっき突然アタシたちの前に現れて、説明しろだのなんだのって慎ちゃんに詰め寄ってきたのよ」
「え? どういう事?」
「そんなのこっちだってわからないわよ。慎ちゃんも迷惑がって最初は相手にもしなかったんだけど、あのカイルって子、本当にしぶとくってね。話があるから付き合えって譲らないのよ」
「それで?」
「結局二人で行っちゃったわ。私も付いてくって言ったんだけど、カイルって子が嫌がって連れて行ってくれなかったのよ」
 そこでユンミは一拍置く。
「ねぇ、あの子って何者? なんだか只ならぬ雰囲気だったわ。なんで妹に居場所を教えたんだ? とかなんとかってすごい形相だったの。彼の妹って、あの夜にアンタと一緒に居た背の高い女の事よねぇ? あの女が原因なんじゃない? ねぇ美鶴、アンタ、あの女の友達なんでしょう? 連絡取ってよ」
「連絡って」
「連絡して、あの二人を止めてもらうのよ。だってあのカイルって子、すっごい気迫だったもの。声は静かだったけど、あれは内に秘めるタイプね。ひょっとしてあの二人、喧嘩とかなんてしたりしないかしら? 慎ちゃんの顔に傷でもついたら、アタシ泣いちゃうっ!」
 大袈裟に声をあげる。そんなユンミの声を、美鶴は混乱する頭の片隅に追いやる。
 涼木魁流が、霞流さんを? どうして?
 妹に居場所が知れたから? だとしたらツバサがホテルに乗り込んだ事が原因だ。
 涼木魁流、霞流さんに何をするつもりだろう? どうして霞流さんに?
「ユンミさん。二人の行き場所、わかります?」
「たぶん、埠頭だわ」
「埠頭?」
「えぇ、話がしたいなら落ち着いた場所があるからって、慎ちゃんが言ってた。カイルって子も同意してたから、二人して慎ちゃんの車で向かったと思う」
「埠頭」
 胸が苦しい。
 あの場所だ。美鶴が霞流に胸の内を打ち明けた場所。
 思い出したくない。避けたいという思いを、なんとか抑え付ける。
「ユンミさん」
 擦れそうになる声を振り絞る。
「ツバサには連絡取れます。埠頭まで連れて行ってもらう事、できますか?」
「かまわないわよ。私としては、無理矢理にでも連れて行くつもり。で? 今はどこ?」
 問われるがままに答え、ツバサに連絡が付いたらまた電話すると伝えて電話を切った。
 とにかく、ツバサに連絡しないと。
 携帯を握り締め、やがて指を動かしてツバサの番号を探し出す。
 メール? いや、電話の方が早いかもしれない。
 自分の事ではないはずなのに、なぜだか心臓がドキドキする。
 涼木魁流。
 闇夜で対峙した年上の男性。冷たく、無感情な蒼白の男性。突然皆の前から姿を消し、そして突然現れた男性。
 そうだ、彼は霞流さんが変わってしまうきっかけとなった事件に関わっていた男性だ。ひょっとしたら何か、何か霞流さんを元にもどすヒントが得られるかもしれない。
 閃きのように沸いたその考えに、なぜだか高揚する。
 そうだ、彼は霞流さんの過去を知る人物の一人でもある。だったら、霞流さんの事をより詳しく知るための手がかりを、彼から得る事ができるかもしれない。
 つまり、私にとっても彼は、とても重要な人物だったという事、なのだろうか?
 確証なんて皆無なのに、なぜだろう、期待を抑え込む事ができない。
 ツバサも、こんな気持ちだったのだろうか?
 確証など無くとも、数少ないチャンスならそれに(すが)りつきたい。
 少ないチャンス。兄に会うための? それとも、自分を変える為の?
 (せわ)しく親指を動かす。その手に突然覆いが被さり、美鶴は思わず悲鳴をあげそうになった。
 慌てて見上げると、円らな瞳が見下ろしている。
「誰にメール? それとも、電話?」
 絶句する美鶴。背後からは低い声。
「ひょっとして、あの霞流って奴と、関係ある?」
 振り返る。
「聡」
「図星、か?」
「べ、別に」
「隠すなよ。お前に隠し事は無理だ」
「それに」
 瑠駆真が先を続ける。
「嘘もね」
「手をどけて」
 反論できず、だが言い負かされるのも癪で睨み返す。それに、今は彼らと問答をしている暇は無い。
「手をどけて」
 言って振り払おうとする手を、逆に握られた。瑠駆真の手は大きい。そして見た目よりもずっと力強い。
「霞流か?」
「違う」
「じゃあ、誰だ?」
「ツバサだ」
 即答する美鶴。
 てっきり霞流に連絡をするものだと決め付けていた聡はやや面喰う。だが、瑠駆真はそうはいかない。
「あれ? 今の電話が涼木さんだったんじゃないの?」
「あっ」
 失言に言葉を失う。言い訳も思いつかない相手に、瑠駆真の瞳が細くなる。
「涼木さんに、何の用?」
「それはお前らには関係無い」
「じゃあ、質問を変える」
 言って、少し身を屈める。
「涼木さんは、お兄さんとはちゃんと会えたのか?」
「え?」
「言いたい事は言えたのか? 聞きたい事は、聞けたのか?」
「え?」
 今度こそ、言葉を失った。
 瞠目する美鶴に、瑠駆真が小首を傾げる。
「悪いね、全部聞いたんだ」
「聞いた?」
「そ、蔦にね」
「つ、た」
「最近お前ら、廊下でコソコソ密談してただろ?」
「み、密談って、そんな事はしていないっ」
 反論しようとする美鶴を、聡が片手で制する。
「蔦も同じような事を言っていたよ」
 思い出すだけでもうんざりだと言いたげ。
「アイツが絡むのは涼木が関係している時しかないと思ってたから、話を聞いても大して驚きはしなかったけどね」
 小さく肩を竦める聡。その仕草に一瞬安堵した美鶴。だが、小さな瞳に見つめられ、思わず息を止めた。
「ただ、霞流と繁華街で会ってるって話は、聞き捨てならなかったな」
 息を止めたまま、吐くことも、そして吸うこともできない。







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